Voice 聖地の声~1200年以上守り継がれてきた高野山地域の声~

 高野山未来創造プラットフォーム(略称:K-PLAT)では、高野山内の働き手不足を解消しようと宿坊寺院の特定業務を受託したり、人材の派遣を行ったりしています。こちらのページでは、サイトをご覧になっている皆様に、1200年以上の長い年月、守り継がれてきた高野山地域のリアルな声をお届けいたします。

聖地の声 第1弾 前編

 第1弾は、宿坊寺院「持明院」の住職で、高野山未来創造プラットフォームの事業アドバイザーでもある竹内崇真さんの「声」を2回にわけてお届けします。

 話し手:宿坊寺院「持明院」住職 竹内 崇真
 聞き手:高野山未来創造プラットフォーム株式会社 淺田 あゆみ

「お坊さん」になるという道

淺田:こんにちは。いつもありがとうございます。淺田です。今日は色々とお話をお伺いできればと思います。なんだか緊張しますが、よろしくお願いいたします!
竹内:緊張しないでください(笑)いつも通りよろしくお願いいたします。
浅田:はい!有難うございます。今回は、対談企画ということで、「はたらく旅紹介所」をご覧いただく方に高野山のことを知っていただくために、改めて竹内さんの思いや展望、K-PLATに期待するなどをお伺いできればと思います。まず、初めに、竹内さんはどのような経緯でお坊さんになられたか、教えていただけますか?
竹内:はい、もちろんです。わかりました。お坊さんになった経緯ということなのですが、私は「持明院」という高野山内の塔頭寺院の住職の長男として生まれ、小さい頃からこのお寺で育ちました。生まれた家がお寺という環境だったことから小さい頃から宗教や仏像と身近に暮らしたことから、将来、お坊さんになること自体に特に抵抗はなかったんですよね。弘法大師空海や仏様に手を合わせることも、ある意味当たり前のことだったので、「僧侶という仕事に就く」という意識は特にはありませんでした。

淺田:そうなんですね。では、お坊さんという道を選ぶことについて、悩んだりはしなかったのでしょうか?私は、仕事を選ぶとき、とても悩みました。
竹内:そうですね、この道を選ぶことに悩みはなかったです。ただ、19歳の頃、いざ修行(※)に入るとなると、やっぱりちょっと戸惑いはありましたよ。例えば、修行に入るにあたり髪を剃ること。髪を落としてしまうと見た目が変わりますよね。やっぱり少し抵抗もありました。「本当にこの道でいいのかな」というも迷いを覚えたことは記憶しています。
※高野山では、100日の修行を経て、灌頂(かんじょう)という儀式を受けることで僧侶と認められる

修行に入るということ

淺田:修行に入ってからは、そういう迷いというのはどのように解消されていったんですか?
竹内:修行に入って、特に「懺悔行」という修行を行ったときに大きな気づきがありました。この修行では、文字通り仏様に懺悔をする修行なのですが、自分自身を見つめ直して、「自分はこういうことをしてしまった」「これが自分の罪なんだ」って自己反省するところから始まります。そして、自分では懺悔しきれない、気づいていない罪についても、仏様に許しを請うんです。それを続けていくうちに、自然と父母や先人たち、仏様への感謝の気持ちが湧いてきたんです。「自分はこんなにも多くの支えがあって生きているんだ」と気づいたとき、本当に心の奥から感謝の気持ちが出てきて、お坊さんとして生きていきたいという気持ちが芽生えました。
淺田:そういう感覚を覚えるんですね。その気づきというものは、竹内さんの中でどれほど大きな変化をもたらしたのでしょうか?
竹内:修行の中で、自分の知らないことを体験することで、これまで見えなかったものが見えてくる楽しさも知りました。経典を読むだけではわからないこともありますし、誰かの言葉を聞いただけでは理解できないこともあります。でも、自分自身で体験することで初めてわかることがある。それが修行を通じて感じた大きな魅力でしたね。
淺田:修行を通じて、この道を選んでよかったと思えたのですね。
竹内:はい。迷いや戸惑いはあったものの、修行を通じて「お坊さんになりたい」という気持ちが強くなり、もっとこの道を極めようという意識が強くなりましたね。振り返ってみると、お坊さんの家に生まれ、道を選び、自分が住職に就くに至るまで自然な流れだったような気がします。

淺田:竹内さんのお話を伺っていると、お坊さんはすごく遠い存在ではなく、一般の私たちと同じ存在なのだと感じます。いつも、ありがとうございます(笑)
竹内:確かに淺田さんが仰る通り、全くお坊さんを知らない人からすると、「お坊さんって普段どんなことをしてるんだろう?」とか、「どんな生活なんだろう?」って、思いますよね。見えていない部分が多いと思います。
淺田:なんだか、一般の人から見ると、お坊さんとは実際はどんな存在なのか、見えづらいところがありますよね。
竹内:私の場合は小さい頃から父や祖父の姿を見ていて、お坊さんってこういうものなんだなっていうのが自然とわかっていたんだと思います。だから道を選ぶときにも自然に歩めた。お坊さんは山にこもってひたすら修行するだけとか、清廉潔白で誰とも関わらないっていうような特別な存在じゃなくて、小さい頃から人と関わりながら生きている姿を見てきたので、「お坊さんってこんな風にいろんな人と関わりながら活動してるんだな」というのが自然に思っていましたね。
淺田:なるほど、「お坊さん」とか「高野山の住職さん」と聞くだけで、すごく気を使ってしまいがちですが、竹内さん自身もお坊さんとしての姿を想像しやすかったのですね。

「持明院」の縁起について

淺田:竹内さんはこの持明院で生まれたんですよね。
竹内:そうですね、三代前、私の曽祖父からここの住職なので、世襲で受け継いできた寺院です。

持明院(春)

淺田:深い歴史のあるお寺だと思いますが、持明院の縁起について教えてください。
竹内:持明院は、平安時代の1120年頃に開創された寺院です。高野山自体は弘法大師空海がおられた800年代から始まっていますので、それより約300年後のことですね。当時、『持明房真誉』という僧侶がいらっしゃいまして、この方が持明院の開祖です。真誉大徳は、京都や各地で修行をされる中で、師匠からその優れた才覚を認められていました。その師匠が、「ぜひ高野山に登り、弘法大師が奥の院に入定される際の大切な作法を高野山のために残しなさい。そのためにお寺を建てなさい」と勧められたんです。それを受けて、真誉大徳は高野山に来られて、持明院を建てられたんですね。
淺田:弘法大師との関わりがあったのですね。それで持明院という名前になったんですね。
竹内:はい、開祖の号である『持明房』から取られています。

淺田:戦国武将の浅井長政公に所縁があるとお聞きしました。
竹内:そうなんですよ。持明院には、浅井長政公、長政公夫人(お市の方)、浅井久政公の肖像画のお軸が奉納されており、重要文化財に指定されています。古文書では、浅井久政が持明院に参拝され、その後お礼状を頂いたという記録が残っています。

お市の方(浅井長政夫人)像

プロフィール:
竹内 崇真(たけうち・そうしん)
持明院住職。和歌山県高野町出身。お寺の実家に生まれ、14歳で出家。高野山未来創造プラットフォーム株式会社事業アドバイザーを務める。

淺田 あゆみ(あさだ・あゆみ)
高野山未来創造プラットフォーム株式会社人財事業本部。広島県大竹市出身、広島大学経済学部卒業。大学時代はサッカー一筋。大学卒業後は、大手求人広告会社で7年間営業に携わった後、自分を見つめなおしたいとの思いから国内外を旅し、高野山の魅力に惹かれ、K-PLATに入社。


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